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本福寺

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本福寺

宗派 法華宗陣門流

名称 宮中山 本福寺(きゅうちゅうさん ほんぷくじ)

住所 新発田市住吉町2−8−32

本尊 宗祖奠定ノ久遠常住輪円具足ノ大曼荼羅

開基 一乗坊日信聖人、応年15年(1408)

寺宝

  • 日蓮大聖人御真筆一幅
  • 伝日信聖人筆祈祷経一巻
  • 紺紙金泥法華経八軸
  • 螺鈿経函一重
  • 大手鑑一冊
  • 溝口秀勝並歴代判物七通
  • 領内勝劣派支配頭補任状一通

由緒沿革

日信聖人が応永15年(1408)に草創した寺で、所の名を大沢(豊浦町真木山の西麓)といい、寺を一乗山本勝寺と称した。元禄10年(1697)に藩へ提出した由緒書には「草創年号不知、開基日信聖人中頃参上仕、其後応永十五年再興有」とある。当時他宗門の住持を説得し、日を経て改宗させ、法華宗寺院として再発足したので再興といい、開山といわないのかと思う。
天正15年(1587)兵火にかかり子院と共に焼失、以後豊浦の中ノ目、下新保の宮中、五十公野の山崎と転々、旧称猿橋の現在地に来たのは十七世日脱の元禄7年(1694)のことである。本勝寺を再興したのは五世本福坊で、伽藍を整えた六世日瓔は一乗山本福寺と称し、その後地名をとって山号を宮中山に改めた。
明治14年(1881)自火で全焼、同16年に仮本堂・庫裡を造営、現在の本堂は三十二世日種代の大正12年(1923)に再建した。なお当寺は天明7年(1787)以来領内勝劣派支配頭を勤めた。

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